2021年1月6日水曜日

【人の信用を守る】1人の人を特別視するのは、他の人の意見に耳を傾けない結果です。

「恋愛だけじゃなくても、この人は!と盲目になることあるよね。」

「あるある、そういう時って大抵他の人の意見が頭にないよね。」

「自分を極端に特別視している写し鏡だよね。原因追求ばかりして。」


わかります、その思い、分析。

こんにちは、【人の信用を守る人】です。

日中の数時間、仕事をしながら、ウォーキングをすることも日課なのですが、

昨日から試しに上り坂が現れたら全力で走ってみてみました。

そしたら、すこぶる体の関節の調子がいいんです。

ということで、今朝から体操の後に

A案はバーピー運動で、

関節の感覚を調整したい体調を感じ取ったら

B案の近所の急な坂道全力疾走のインターバルトレーニングにします。

今日はB案を採用しました。

やっぱり、体の関節がいい感じですね。

結局、こういうことも自分がやってみた結果を受けてみて、

調整していくことあるのみです。

そして、また継続して言った先の結果を受けて調整していけばいい。


メンタルクリニックに通い始めたご近所さんが

少しでもすがすがしい毎日が送れるように

毎朝の瞑想の時間の導入に願っています。

まあ、こればっかりは年齢を考えた

本人の具体的な行動のみですからね。

今後は直接あまり関わらず、

ごくたまにコミュニケーションを取り、

高齢者が回復する期間や具合はどんな感じなのかを

私なりに観察していきます。

本人が人生を諦めたらそれまでの命です。

そういうことが日本の各地で起きてるんでしょうね。

私にとっては人間の死はその辺の石ころと同じです。

私もある日突然死ぬかもしれません。

でも、そんな原因追求をしていても動けなくなります。

そうではなく、たった今の自分の心身の結果を踏まえ行動していくのみです。


ということで、私は人間の生きたいという渇望には

大変好奇心をくすぐられます。


そのメンタルを病んだご近所さんは

毎日眠れないのはあいつが原因だー。と頑固だったんです。

人間何か1つの結果を1つの原因だと言っている人を

客観的に見ていると滑稽です。

自分も長年そういう時期が多かったので、

その脳内のサイクルはよく分かりますが、

とにかく滑稽です。川柳がかけるくらい、滑稽。


人間は人間関係を特別視します。

たとえ、

高齢になり、

運動不足で、

寝る直前まで明かりを煌々とつけ、

テレビを何時間も座って見ている

習慣を行っていたとしても、

寝られないのはあいつのせいだとなる。

本気で睡眠を取りたいのか客観的に見るとわからないので、滑稽です。

だって、本気で寝たいなら、やれることがあるでしょ。

自分が怠惰な生活をしている上で、

高齢になり時間が出来たから、

体が動かなくなったから、

不眠を誰かのせいにするのは違うんだよな。

例え、その原因だと考えている人が

その方のそばからいなくなったとしても、

原因追求は反芻して終わらないので、

今度は別の人もしくは自分が悪いんだとなる。


そんなことよりも、

本当に眠りたいなら自分の意思で行動して、

結果を感覚的に捉え、条件を変更していくしかないっしょ。

人生は有限なんです。

脳内で原因追求している無駄な時間なんてないんです。

私は人間よりも動かなくてもそこで生きていける

機能を持った植物により関心がもともとあります。

しかし、そんな私でも人間なので、

人間関係を特別視してしまうわけです。

出会った時のこの人は信頼できるという気持ちはいいものです。

しかし、相手が繋がってくれるからと言って、

何でも許される特別視をするのは、

自分の心身的、社会的、経済的な結果と向き合ってない証拠。

誰もあなたを助けることは出来ません。

自分の成長を感じるのも、自分を成長させることができるのも自分のみ。

自分の感受性を磨きましょう。


久しぶりに昨日は読んでいて自分の琴線に触れた

詩があったので、最後に書き残しておきます。


==引用==

 茨城のり子 作

『自分の感受性くらい』


ぱさぱさに乾いてゆく心を

ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて


気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか


苛立つのを

近親のせいにはするな

なにもかも下手だったのはわたくし


初心消えかかるのを

暮らしのせいにはするな

そもそもが ひよわな志しにすぎなかった


駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄


自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ

====

やっぱり、青春を戦争で奪われた人の言葉は重みが違いますな。

茨城のり子さんに関してご興味が出た方は、詳細は自分でお調べください。


自分の琴線には触れましたが、

あくまで結果は自分が原因しか書いていない詩です。

その上で、私は自分なりの行動の試行錯誤を

自分なりの言葉で伝えていきたいと改めて思うのであります。


執着と集中を履き違えていた時の自分の喜怒哀楽には

虫唾が走るくらいでしたが、

さわやかな幸福感の習慣の上で、感じる自分の感性は

好奇心とも大いにつながるので大切にしていきたいと思います。


あなたは、たった今の自分の結果から行動していますか。

以上、【人の信用を守る人】でした。

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