「過去はもうないので、いかようにもラベルをつけられるよ。」
「過去の同じ出来事をいつも同じ認知で取り上げるのは依存的だよな。」
「瞑想的思考は認知の手前のそのまんまを受け止めることに利用できるよね。」
わかります、その思い、分析。
こんにちは、【人の信用を守る人】です。
過去の出来事をいつも同じ認知で反芻して幾度となく、
認知の皿の上に置くのは依存的思考ですな。
過去の出来事はいかようにも認知が出来ることは、
その出来事を他人事のように
いやもっと言うと、自然現象のように
そのまんま受け止めることは新たな認知をする前に
やはり会得したい瞑想的思考、行為ですな。
過去でも、今の目の前にある事や人でも、未来のイメージでも
同じ認知で反芻する時間が最も生産性がなく、疲労のみでやばいのでは。
この考え方だともはや
過去、現在、未来を分ける必要もなくなるな。
認知という意味では同じ脳が同じタイミングで処理している相手だもんな。
一つの出来事の一つの認知の仕方だけに縛られることが
一番精神的にきつい時に行っちゃうのが人間なんだよな。
だから、心身の基礎代謝をあげる習慣を続けることの重要性が出てくるんだ。
どんどん、自分の変わりたい方向に変わっていいんだ。
そのためには認知の前段階が重要だということを肝に銘じないと。
また、脳内の快楽物質欲しさに、依存的思考、行為を繰り返すことになるってよ。
執着することと没頭することは全く違うことを自覚しないと
没頭していると思ったら、執着を繰り返しているだけってことになるよ。
体のバランス感覚の体幹を鍛えながら、
心のバランス感覚も鍛えたいもんですな。
あなたは半自動的に執着している情報がありますか。
情報というところまで消化できたならもう執着は手放せる段階です。
以上、【人の信用を守る人】でした。
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