「なんかさー、自分のことずっと社交的だと思っていたんだけど。」
「どうやら、根底にある敵意を隠すため迎合していただけだな。」
「コミュニケーションの理想はどこまでもフラットだよな。」
分かります、その思い。
こんにちは、【人の信用を守る人】です。
2020年12月21日の一年で日中の時間が一番短い日に近づいてきているので、
中々朝、太陽が顔をのぞかせてくれません。
でも、みなさんお持ちのスマホのライト機能を使えば、
白夜のある北欧などにも患者の多い冬季うつの原因の1つである
朝に強い光を浴びられないということはなくなりますよ。
今日は、いつもと違う川沿いにある公園に行ったら、
とってもよく朝日が上がる瞬間を見ることが出来ました。
別に初日の出でなくても、とっても気持ちがいいもんですね。
いい公園を見つけました。太陽の日差しが恋しい冬には打ってつけの公園です。
朝からその公園には、3人の方が落ち葉の掃除をしていました。
他の公園にも朝から公園の掃除をしている人たちがいたので、
シルバー人材センターへ役所が発注している仕事なのかもしれませんね。
その他には近くの工事現場の夜勤の交通整理していた方がベンチで座っていたり、
犬と散歩している方たちがいました。
広い公園なので、密になることもなく、快適に筋トレが出来ました。
さて、私は長年、自分は社交的だと思ってきました。
しかし、社交的を演じていんだと分かりました。
目の前の人にいかに気に入られるかに神経を研ぎ澄まし、
喋る言葉を選び、価値観をあわせていました。
それは、私は私ですと育たなかったから。
じゃあ、今から育てましょ、と言うことです。簡単なこと。
くそみたいにコミュニケーションがへたくそな人が
小さい時から身近にいたからそうなったと言えるかもしれないが、
まあその人に対する敵意をしまいこんだまま、
過剰で自分らしさのない迎合的な社交性を演じても何の意味もない。
それは自分の人生でないことが潜在意識では分かっているから、
家に帰ってきてから、疲れる疲れる。
別の言い方をすれば、そのまんまの自分を受け入れるのは自分と言うこと。
素の自分を表現するまでが自分ができること。
それをどう受け止めるかは相手次第だったり、状況次第。
自分の経験上、環境によって人の振る舞いや言動は相当変わるので、
素の自分につながる人間関係の中で生きていくのが
オキシトシン的幸福ではないかというのが来年2021年前半の仮説です。
その前の年末の半月で、
素の自分と自分らしく振舞うという
心から自分の実像が満たされた状況とはを実地で行動して言語化していきます。
まあ、いろんなことに興味を持ち行動する動機に
誰かを見返すための敵意が根底にあり、気づかないうちは
何度も簡単にうちのめされちゃうさ。
だって実存の自分が満たされていないもの。
行動制限をかける身近な人とが災厄の何者でもないな。
その後、その人がどれだけの時間をかけて、
その精神的な鎖をはずすのか分からない。
自分の人生はこんなもんだった。
だから、お前もそういう人生を歩めってのは卑怯の何者でもない。
言葉で言わなくても、無意識はダダ漏れしてるから気をつけろ。
でも、いつでも始まりは、そのまんまの実存を満たす
たった今を積み重ねること。
そのためにはどんなに前でも過去に身近にいた人に対する
敵意と向き合い、言語化すること。
その動機が半自動的な行動に結びついていることを何度となく自覚すること。
そおじゃねえと、何やったって、ため息ばかりの人生は好転しないぜ。
あなたは、過度にしてしまう行為の動機を言語化したことがありますか。
以上、【人の信用を守る人】でした。
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